6月21日 使徒言行録 13章1節〜12節
「文化、習慣を超えて」
今日の聖書は、パウロとバルナバがキプロスへ宣教に赴いた記録です。お手元の聖書の巻末には「パウロの第一次宣教旅行」の地図が掲載されていると思います。それが今日の舞台です。
ここからパウロたちはユダヤの地を越え、世界へ向かって福音を宣べ伝えていきます。福音とは「神が人を愛し、救おうとしておられるという良い知らせ」です。
キプロスはパウロと行動を共にしたバルナバの故郷でもありました。しかし彼らはそこで抵抗を受けます。
今日の箇所では劇画を見るように、パウロが反対者を見つめると「目が見えなくなった」と記されています。しかしルカはここで、パウロに特別な魔法の力があったと言いたいのではありません。むしろ、人が真実を見失っている状態を「目が見えない」という出来事を通して表しているのです。
かつてパウロ自身も復活の主イエスと出会った時、一時的に目が見えなくなりました。闇を経験することによって真実の光を知ったのです。
この出来事は闇の中から真実の神へと立ち返るための招きとして読むことができるでしょう。
パウロの伝道から始まり福音は宣べ伝えられていきました。そしてこの地にも福音の種が蒔かれ高崎教会はこの地で142年、福音を宣べ伝えています。パウロの伝道が多くの困難に遭遇したように高崎教会の伝道の歴史も困難を経験してきました。なお、こうしてこの地で礼拝を守り続けることができるのは信仰の先達が礎となり、祈りを持って支えてこられたからです。そして私たちはこの信仰の先達の祈りのうちにあってこの地で主の栄光を表すようにと押し出されています。
「福音を宣べ伝える」とはどういうことでしょう。それは「誰もが無条件に神の愛のうちにあること、そして神に従って歩むことに生きる意味と目的があること」を証しすることです。そのために高崎教会はこの地で神の栄光を表すよう託されているのです。そして「ここに帰り、ここで癒やされ、そして再び神の国を目指して歩んでいく」場でもあるのです。
私たちは神に愛され、赦され、救いへと招かれている者です。そのことを知る時、私たちの存在そのものが神を証しするものとなります。飾る必要はありません。「良いクリスチャン」を演じる必要もありません。大いに笑い、大いに泣き、傷や挫折や失敗さえも神さまは用いてくださいます。そして、たとえ信仰が弱くなったと感じる時があっても、神さまから見れば私たちは変わることなく愛する子どもです。