メッセージダイジェスト

コリントの信徒への手紙一 12章27節〜13章13節

「1つの体、多様な『働き』」

 コリントの信徒への手紙一13章は、しばしば結婚式で読まれる「愛」の言葉として親しまれています。しかし、パウロが語った「愛」は、新たな門出を祝うためだけの言葉ではありません。また、人に向かって「もっと愛しなさい」と命じる掟でもありません。むしろこの箇所は、「神とは何か」「イエスとは誰か」を示す御言葉として受け止めることができます。私たちの思いや努力によって愛が完成するのではなく、神が先に私たちを愛してくださっている。そのことを知るところから、信仰者の歩みは始まります。

愛は「命令」ではなく、神の姿を示す言葉

 私たちは自らを振り返るとき、忍耐できず、情けをかけられず、ねたみや苛立ち、恨みを抱くことがあります。愛とは正反対の日々を生きている自分に気づかされるのです。だからこそ、パウロの語る愛は、人間の努力の理想像としてではなく、神の真実として聞かれるべきものです。愛は私たちが自分の力で成し遂げるものではなく、神が私たちに示してくださった姿であり、イエス・キリストによって明らかにされた神の御心なのです。

一つの体、多くの部分としての教会

 この「愛」の言葉は、12章から続く「キリストの体」という流れの中で語られています。教会に集う一人一人は、それぞれ異なる個性と賜物を持っています。その違いは優劣ではなく、豊かさです。目立つ働きだけが尊いのではありません。日々誠実に、当たり前のことを守り続ける働きもまた、教会と社会を支える大切な賜物です。パウロは、一つの体に多くの部分があるように、互いの違いを受け止め、支え合って歩む教会の姿を示しています。

賜物を競うのではなく、神の御前に立つ

 しかし、人の集まりには、賜物を比べ、立場や評価を求める思いが生まれます。コリントの教会にもその現実がありました。大切なのは、課題がないことを誇ることではなく、課題を抱えながらも神の御言葉の前に立ち続けることです。神は、破れや欠けの多い私たちに完全な姿を求める方ではありません。むしろ、神を見上げ、礼拝の中で新たにされながら、共に主の御国へと歩むよう招いておられます。

永遠に残るものとしての愛

 人生には、目的や意味を見失う時があります。未来への不安、死の現実、孤独や恐れが心を覆うこともあります。知識も、力も、目に見える働きも、やがて過ぎ去っていきます。しかし「愛は決して滅びない」とパウロは語ります。愛とは神そのものであり、神が私たちと共におられるという真実です。私たちが絶望し、逃げ去りたいと思う時にも、神は忍耐をもって私たちに接し、諦めることなく支えてくださいます。

神の愛のうちに、今を歩む

 私たちの信仰が自分を救うのではなく、未来への希望だけが今を支えるのでもありません。ただ、神の愛のうちに自分があることに出会う時、私たちは永遠を見いだします。教会は、それぞれの人生を歩む者が、共に主の御国へ向かう群れです。互いの弱さを知り、違いを受け止め、それぞれの賜物を活かしながら歩むところに、神の愛が現れます。愛は、私たちが作り出すものではなく、神が今も私たちと共におられるしるしなのです。