メッセージダイジェスト

使徒言行録13章44節〜52節

「隔てを乗り越える神」

使徒言行録13章44−52節には、パウロとバルナバが語った福音が、ある人々には喜びとして受け入れられ、またある人々には拒まれていく姿が描かれています。
福音とは、「信じる者は皆、イエス・キリストによって義とされる」という新しい良き知らせでした。それは、人間が作ってきた境界や価値観を揺さぶるものであり、同時に、神の救いがすべての人へ開かれていることを示す知らせでもありました。
私たちは変化を恐れ、過去にとらわれることがあります。しかし神は、人間の思いを超えて働かれます。隔ての壁を越え、私たちに出会ってくださる神。その福音の広がりを、今日の御言葉から受け取りたいと思います。

変化を恐れる私たち

先日、「いのちの電話」の研修会で講演をする機会がありました。電話で人の悩みを聴くという働きが始まった時代、それは必ずしもすぐに受け入れられたわけではなかったようです。対面でない相談が本当に適切なのか、専門家からも批判的な意見がありました。

今、私たちはAIという新しい変化の中にいます。AIが相談相手となり、人の悩みに寄り添う時代になりました。人間にしかできないと思っていたことが、少しずつ乗り越えられていく。その中で、寂しさや抵抗を覚えることもあります。

けれども、変化を前にした戸惑いは、いつの時代にもあったのかもしれません。

福音という新しい知らせ

今日の御言葉は、「福音」という新しい良き知らせが、どのように受け入れられ、また拒まれたのかを語っています。

パウロは、イエス・キリストによって神の約束が成就したと語りました。そして、「律法ではなく、信じることによって義とされる」と宣言しました。それは、会堂に集まっていたユダヤ人にも、神を敬う異邦人にも向けられた言葉でした。

この知らせは、多くの人に喜びをもたらしました。次の安息日には、ほとんど町中の人々が主の言葉を聞こうとして集まったと記されています。彼らの心に響いたのは、「信じる者は皆」という言葉だったのではないでしょうか。

喜びと反発

しかし、その福音はすべての人に喜びとして受け入れられたわけではありませんでした。

律法を守ることを大切にしてきた人々にとって、パウロの言葉は、自分たちの歩みや価値観を否定するように聞こえたのかもしれません。神が異邦人をも受け入れる方であるという知らせは、人々が築いてきた境界を揺さぶりました。

パウロは反発を受け、バルナバと共にその町を追い出されます。それは、彼らにとって残念な経験であったに違いありません。

それでも神は働かれる

けれども、人の目には失敗に見える出来事の中で、神の御業は前へ進んでいました。

異邦人たちは主の言葉を喜び、福音はその地方一帯に広まっていきました。神はユダヤ人だけの神ではありません。律法を守ることや、人間の正しさによって救いを与える方でもありません。

神は、人間が作る隔ての壁を越えて働かれる方です。受け入れられる人、受け入れられない人。理解できるもの、理解できないもの。私たちはしばしば境界を作ります。しかし福音は、その枠を越えて進んでいきます。

信じるということ

パウロは、「信じる者は皆、この方によって義とされる」と語りました。

神が私たちに何より望んでおられるのは、立派な行いでも、完全な正しさでもなく、「信じてほしい」という願いです。
「あなたは愛する子である。私は決して約束を裏切らない」。
その御言葉を信じること。そこに、福音の喜びがあります。

神は、私たちの思いを超えて救いを広げられます。隔てを乗り越え、なお出会ってくださる神を信じて歩みたいと思います。

私たちが壁を作る場所に、神は道を開かれる。