メッセージダイジェスト

7月19日

コリントの信徒への手紙2 6章1〜10節

「今、恵みの時」

教会は、完全な人だけが集まる場所ではありません。弱さや迷いを抱えながらも、神に招かれ、共に御言葉を聞き、支え合って歩む場所です。使徒パウロとコリント教会の歩みを通して、「今、恵みの時」とは何かを見つめます。

神に招かれて集う礼拝
私たちは今、礼拝に集い、賛美をささげ、御言葉に耳を傾けています。同じ日曜日、世界の各地でも多くの教会が、それぞれの形で礼拝を守っています。礼拝の形式、祈りや賛美、読まれる聖書箇所、語られるメッセージは教会によって異なります。国や民族、言語ごとに集う教会もあり、その姿は一つではありません。


不完全な私たちを迎える場所
けれども、どの教会にも共通しているのは、神に招かれた人々がそこに集められているということです。私たちは皆、同じ考えを持っているわけではなく、聖書の受け止め方も信仰の歩みも異なります。時には、自分の信仰を他人と比べて「信仰が薄い」と感じることがあるかもしれません。しかし、私たちの信仰を最終的に見てくださるのは神ご自身です。教会は、完全な人だけが集まる場所ではなく、弱さや迷いを抱えた人が神の前に置かれる場所です。

コリント教会へのまなざし
「コリントの信徒への手紙二」は、使徒パウロがコリントの教会に宛てて記した手紙です。コリントの教会は、パウロが第二伝道旅行の中で一年半にわたり伝道し、築かれた教会でした。アキラとプリスカとの出会いもあり、教会は大きく成長しました。しかし、パウロが去った後、教会の中には不和、道徳的混乱、訴訟問題など、さまざまな課題が生じました。

厳しい言葉の奥にある愛
パウロはコリントの人々に厳しい言葉を送りました。その背景には、怒りだけでなく、教会を思う痛みと愛がありました。自らが建てた教会であり、そこに集う人々は家族のような存在でした。パウロは、教会が自分を理解せず、受け入れない現実に失望しながらも、なお和解を願い続けました。やがてテトスから、コリントの教会が悔い改め、パウロの言葉を受け入れたことを聞き、パウロは大きな喜びを覚えました。

苦しみの中で支えられる信仰
この手紙でパウロは、自らの伝道者としての歩みを通して、「イエスを信じて生きる」とはどういうことかを示しています。彼は、苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓といった厳しい経験の中にあっても、純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、真理の言葉、神の力によって支えられてきたと語ります。信仰とは、苦しみがなくなることではなく、苦しみの中でなお神の力に支えられることです。

弱さを抱えながら歩む教会
教会は、時代や社会の変化の中で形を変えてきました。礼拝のスタイルも、教会のあり方も一様ではありません。それでも原点には、「共に集い、賛美し、食卓を共にし、励ましの言葉を聞く」という姿があります。教会は、強固で揺るがない砦ではなく、弱く小さく、時に混乱し、悩みを抱える群れです。そこには秩序も混乱も、異なる考えも、人間関係の難しさもあります。

弱さを通して示される恵み
だからこそ、教会は社会から切り離された特別な場所ではありません。人が人として生きるうえでの課題を共に担う場所です。そして、そのように弱さと課題を抱えた場所に、神は聖霊を注いでくださいます。神は、教会が完全だから用いられるのではなく、弱さを抱えた教会を通して、ご自身の救いと恵みを示してくださいます。

神は私たちと共におられる
パウロが伝えようとした中心は、「神は私たちと共にいてくださる」という励ましです。コリントの教会の混乱も、パウロ自身の苦悩も、今日の教会が抱える課題も、神の恵みの外にあるものではありません。私たちは、自分の弱さや教会の不完全さを見つめるとき、同時に、赦されている喜びと、神が共にいてくださる慰めを受け取ることができます。

今こそ、恵みを受け取る時
「今、恵みの時」とは、すべてが整った時だけを指すのではありません。悩みや痛み、混乱のただ中で、神の招きに気づく時です。私たちが今ここに集い、御言葉を聞き、互いに励まされるこの時こそ、神の恵みが注がれる時です。パウロの歩みとコリントの教会の姿を通して、私たちもまた、神に赦され、支えられ、共に生かされていることを覚えたいと思います。